臨書部
「臨米芾張季明帖」
世間等一帖也
【手本解説】
書は、AIによって書けるのでしょうか。前回もいいましたように米芾が書いた真は王羲之が書いた真とは全く異なっているようです。米芾の書いた真は、群玉堂帖・李太師帖などにもありますが、いずれも、下部がどっしりと書かれています。今月、臨書した「第」は、タケカンムリが左右に大きく振れ、その空間も上下を使って、いわゆる頭でっかちに書いています。これが、王羲之の基本的な構造ですが、それから逸脱した字も、米芾の書作の中に散見できます。いわゆる、理念とか法則をインプットしても、それだけで書かれたAIの書はもしかしたら全く面白味のないものになってしまうのかもしれません。古典を真似してその法則を用いて書いたとしても、全く同じように書けるものではなく、書き手の嗜好が入ってしまうのが”書”というものではないでしょうか。その意味で「也」の最終画の右上に跳ねるまでの横画の長さも米芾の嗜好かもしれません。
書は、AIによって書けるのでしょうか。前回もいいましたように米芾が書いた真は王羲之が書いた真とは全く異なっているようです。米芾の書いた真は、群玉堂帖・李太師帖などにもありますが、いずれも、下部がどっしりと書かれています。今月、臨書した「第」は、タケカンムリが左右に大きく振れ、その空間も上下を使って、いわゆる頭でっかちに書いています。これが、王羲之の基本的な構造ですが、それから逸脱した字も、米芾の書作の中に散見できます。いわゆる、理念とか法則をインプットしても、それだけで書かれたAIの書はもしかしたら全く面白味のないものになってしまうのかもしれません。古典を真似してその法則を用いて書いたとしても、全く同じように書けるものではなく、書き手の嗜好が入ってしまうのが”書”というものではないでしょうか。その意味で「也」の最終画の右上に跳ねるまでの横画の長さも米芾の嗜好かもしれません。
[岡田明洋]

