選者選評 岡田明洋
漢字規定部(初段以上)
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【選出所感】
王羲之の書法=古法=俯仰法=陰陽法= 筆の進む方向に軸が倒れる。というところまで、 先月号の漢字規定部の選出所感に記しましたが、それプラス「 左手法」という技法も王羲之の筆法といわれています。 左手で筆を持ち、縦画を引くと、右サイドに穂先が出ますね。 これと同じように右手で持っても、 右サイドに穂先が出るように引くのが左手法です。
この左手法なるものが、秦の竹簡である 里耶秦簡の縦画にあまた発見できるのです。このように考えると、 秦の竹簡・ 木牘など秦隷と呼ばれる毛筆を用いた書写から漢の馬王堆帛書、 更に漢の時代に書かれた竹簡・木牘(これには、 古隷と呼ばれるものと八分隷と呼ばれるものの2タイプがあります) は、漢の石碑や清の時代の金石家が用いた逆入・ 蔵鋒のような筆遣いではなく、起筆のところで逆に入って、 穂先でチョンとつついてから、 進行方向の右に向かってやや筆を倒して運筆していくように思われ ます。それ以後の後漢の草隷、 章草などもみんな筆管を進行方向に傾けて進めていく方法をとって いるように思われます。その流れを受けて、 王羲之が俯仰法という筆法を完成させたと言われていますが、 20世紀末に中国から出土されたものを見ますと、 毛筆で書かれたものは、 ほとんどが進行方向に筆を傾けている用筆法をとっていると思えて なりません。
王羲之の書法=古法=俯仰法=陰陽法=
この左手法なるものが、秦の竹簡である
[岡田明洋記]
漢字規定部(特級以下)
【選出所感】
先月号の所感をお読みいただいたのがよくわかる皆さんの取り組み でした。画数が多い字面(課題)でしたので、 途中で墨が足りなくなって、 ガサガサの線を引いてしまう可能性が高かったのですが、 よく墨が入っていました。 そして転折部における無用の墨だまりもなく運筆している作品が多 かったように思われます。 俯仰法を用いますと紙面への接する面積が広くなり、 自然と墨が紙に伝わりやすくなるので、裏面まで墨が入るのです。 押し出すように、つまり、穂先が逆Cのような形になると、 どうしても穂先が急カーブしているので紙への接する面が少なくな り、裏まで墨の入らない状態で送筆することになってしまいます。 鋭利な起筆から緊張感を持った線は生まれますが、 豊潤な線はやはり、俯仰法を用いたときの方が、 はるかに表現しやすいと思います。 必ず書き終わったら裏面の墨の状態をチェックして頂ければと思い ます。
また、書き終わったら、 半紙を縦に二分の一に折ってみてください。二分の一に折って、 一行立てにしてみますと、 行が左右にぶれていないかがすぐに判明できます。同様に、 横に二分の一に折ると左右それぞれの字の重心の違いも一目瞭然と なるに違いありません。沢山書くことも大切ですが、 ご自分の作をチェックすることで、鑑賞眼も育ちますので、是非、 この方法で観察してみてください。
先月号の所感をお読みいただいたのがよくわかる皆さんの取り組み
また、書き終わったら、
[岡田明洋記]
条幅部
【選出所感】
謙慎展の審査に出向きました。鑑別を受ける作品は、まくりの状態ではなく、皆、額の中におさまって自身を表現しています。書いた作者の分身がそこにいるように、ある作は謹厳実直なたたずまいをしており、ある作は、流麗な曲線を表現しています。いつも皆さんが書いている条幅(半切)よりも少し大きめの40×160センチのいわゆる謙慎サイズの紙に、高校生以上の方が意欲的に筆を執ってくれた作品を拝見するのは楽しいものです。なぜなら、半紙に比べて、主張があるからです。いわば、半紙は絵でいう所のデッサンにすぎません。有名な画家の方も当然デッサンの勉強はやりますし、作品としての価値のある方も沢山いらっしゃることでしょうが、やはり、キャンバスに書かれたものに対すれば、その価値は数段下がってしまうと思われます。私たちも半紙では、細部までとことん観察しなければなりませんが、条幅(半切)以上の作品になると何らかの主張をしなければなりません。呼吸でいえば、半紙デッサンは思い切り肺の中に空気を吸い込むこと、そして条幅(半切)表現は、吸い込んだ空気を思い切り吐き出して、見るものに何らかの感動を与えることだと思います。これは、臨書と創作の関係も同じだと思います。生きていることは、呼吸をしていることです。「呼」も「吸」も大切なことです。是非、月に一枚は思い切り自分を表現されてはどうでしょうか。
謙慎展の審査に出向きました。鑑別を受ける作品は、まくりの状態ではなく、皆、額の中におさまって自身を表現しています。書いた作者の分身がそこにいるように、ある作は謹厳実直なたたずまいをしており、ある作は、流麗な曲線を表現しています。いつも皆さんが書いている条幅(半切)よりも少し大きめの40×160センチのいわゆる謙慎サイズの紙に、高校生以上の方が意欲的に筆を執ってくれた作品を拝見するのは楽しいものです。なぜなら、半紙に比べて、主張があるからです。いわば、半紙は絵でいう所のデッサンにすぎません。有名な画家の方も当然デッサンの勉強はやりますし、作品としての価値のある方も沢山いらっしゃることでしょうが、やはり、キャンバスに書かれたものに対すれば、その価値は数段下がってしまうと思われます。私たちも半紙では、細部までとことん観察しなければなりませんが、条幅(半切)以上の作品になると何らかの主張をしなければなりません。呼吸でいえば、半紙デッサンは思い切り肺の中に空気を吸い込むこと、そして条幅(半切)表現は、吸い込んだ空気を思い切り吐き出して、見るものに何らかの感動を与えることだと思います。これは、臨書と創作の関係も同じだと思います。生きていることは、呼吸をしていることです。「呼」も「吸」も大切なことです。是非、月に一枚は思い切り自分を表現されてはどうでしょうか。
[岡田明洋記]
臨書部
【選出所感】
今回も力作ぞろいでした。 横画が伸びやかで字間も美しく重心もそろっていたからでしょう。 次回も”関中本千字文”を出品することになりますが、 是非プリント(コピー)された”関中本千字文” をご覧になっていただけると良いと思います。 私が臨書したものでなく、原帖をご覧になって、 筆を執っていただけると、起筆の鋭利さがなくなり、 温和なものに変質されると思います。私が用いている筆は、 穂先が効いた(命毛が強く長い)筆ですが、 どうしても起筆が鮮やかになってしまいます。 関中本は石に刻したものですから、ノミを用いても、 刻しきれなく、起筆が甘い状態になってしまいます。 そこが智永が書いた肉筆であるところの正倉院に伝えられた” 真草千字文”とは異なるわけです。また、智永には、 虞世南という初唐の書の名人がお弟子さんにいるわけですが、 その虞世南が書いた”孔子廟堂碑”と同じような温和な線質が、 この”関中本千字文”にはあります。智永自身が書いた” 真草千字文”には蔵鋒的な筆運びはあまりありませんが、 より一層温和な書き振りになっています。 来月はそのあたりを狙って臨書いただけると良いですね。
今回も力作ぞろいでした。
[岡田明洋記]
随意部
【選出所感】
条幅に記しましたが、臨書と創作で今を生きてみましょう。 永遠に不滅な評価の定まった古典。その古典の中から、 先生に自分にふさわしいと思うような古典作品を選んでいただいて もいいし、自分のフィーリングを信じて名品の中から、 これぞというものを見つけ出して頂いても構いません。 いずれにしても、その選んだものの中から書くための技法、 テクニックを学んでみましょう。そして技だけでなく、 心情まで汲みとれるようになることを臨書といいます。 中途半端に見ることなく、 この古典の特徴はこうであると説明がつくくらいしっかりと観察す ることが大切です。先月から「 筆の進む方向に筆管を多少倒して進める方法」 を提示してきました。その運筆法を実践するときも、 どのくらい倒したらこの線が再現できるかを考えながら、 筆を執ると良いですね。文字構造においても、 王羲之の系統の書き振りは、 等間隔になることはほとんどありません。「日」や「目」 の分割比を見てください。 このような視点を持つと臨書の方法がなんとなく理解できるように なると思います。
その臨書から得た技法を今度は思い切り吐き出してみましょう。 何も躊躇することなく、頭の上から声を出すように、 背筋を伸ばして半紙に「一字書」をすれば創作となるのです。
条幅に記しましたが、臨書と創作で今を生きてみましょう。
その臨書から得た技法を今度は思い切り吐き出してみましょう。
[岡田明洋記]
実用書部
【選出所感】
東京の先生とのお話です。
東京のとある大手で老舗書道用具店の方の嘆きということで、 とにかく紙と筆が入荷されなくて困っているとのことです。 ワシントン条約の影響で、上質の毛(子羊、イタチ、狸、馬) が入ってこないそうです。 私が現在使い勝手が良いと思って使っている1本20, 000円の筆がもう製造されないということで、 メーカーに残っている筆を10本まとめ買いしましたが、 このような危機的状態に追いやられているのです。漢字・仮名、 時にはローマ字を用いて書を表現することが出来る大切な日本文化 もこれらの用具がなければ、継続していかないのです。 一番身近なペン字表現でも中学生硬筆所感のところで書いたように 、 正しい持ち方で一度赤鉛筆で書いたものをもう一度手本と見比べな がら自己添削するつもりで、 ペンで上書きされたらどうでしょうか。 そんなケチ臭い方法と思われるかもしれませんが、 有効な学書方法だと思いますし、 何よりも物を大切にするという気持ちを持ち続けることが、 文化継承になるのだと思います。
東京の先生とのお話です。
東京のとある大手で老舗書道用具店の方の嘆きということで、
[岡田明洋記]