臨書部
「臨 蘭亭序」
為流觴曲
近ごろ、私が気になっているのは、左手線もしくは、左手的線と称される線です。手島右卿先生が言われるには、器用な右手で書くとどうしても安易な線が引けてしまう。その癖を直すのには、左手で書いたような線で書くことが大切だと述べています。それを一番強く表現したのが空海であるということです。そして、それは王羲之の筆法にも随所にみられるということです。
為の左払いの線もそれを意識しました。横画から左上に行くときに筆管を左上に向けることによって、毛先が右サイドに出るようにして書くと左手線ということになります。
サンズイの旁に向かうハネは、原帖をみるともっと立派に書かれています。そのようにすることによって懐の広い字形となります。私のは貧弱でした。サンズイから旁の一画目はつなげるつもりで書きましょう。旁の一画目の点は省略されています。隷書の中にも点のない形が見えますが、その影響がある崩し方といえるのでしょうか。
為の左払いの線もそれを意識しました。横画から左上に行くときに筆管を左上に向けることによって、毛先が右サイドに出るようにして書くと左手線ということになります。
サンズイの旁に向かうハネは、原帖をみるともっと立派に書かれています。そのようにすることによって懐の広い字形となります。私のは貧弱でした。サンズイから旁の一画目はつなげるつもりで書きましょう。旁の一画目の点は省略されています。隷書の中にも点のない形が見えますが、その影響がある崩し方といえるのでしょうか。