2022年5月 お手本【一般 臨書部】

条幅臨書

「臨 関中本千字文」
剣は巨闕と号し、珠は夜光と称す。
菓は李柰を珍とし、菜は芥薑を重んず。海は鹹く河は淡し、

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半紙臨書

「臨 趙孟頫」
黄泥の坂を過ぐ

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宋の皇族出身でありながら、異民族の元王朝に仕えたことで、心中穏やかではなかった趙孟頫ですが、元来まれにみる高邁な人物で、その書画における天賦の才は衆目の認めるところでした。特に趙孟頫を寵任したのは、四代皇帝仁宗でした。教養人として均衡がとれていて幅が広かったことが趙孟頫の魅力であったようです。
趙孟頫の書は、宋の高宗の書より出ていて、高宗の薫陶を受けることが多かった孝宗の書へと転じていきました。この二人の宋代の皇帝の影響を受けて、”非常に潤美であるが、しかし、どこかきりっとしたところがたりない”と指摘されるような書き振りを構築していったのです。これが第一期の書と言って良いと思われます。第二期は、定武本蘭亭序を得てからの書風です。獨孤長老から送られた蘭亭序を手にすると、王羲之の風神を伝えていることを喜んで、身辺をはなさず、運河を北上する舟の中で、十三跋を書いたことはよく知られた事実です。これ以降、広く王羲之の書を求め、懸命に学んだと言われます。中峰明本(ちゅうほう みんぽん。元代の禅僧)に与えた行草書の尺牘や漢汲黯伝に見られる細楷などは、筆法妍媚、結体淳古と呼ばれるもので、王羲之書法の錬磨によって手にしたところの書法です。第三期は、李邕(り よう。唐代の書家)や柳公権(りゅう こうけん。唐代の政治家、書家)の書法を取り入れたもので、百をも数える碑を書いたときに用いた書風です。