2022年4月 お手本【一般 臨書部】

臨書部

「臨 趙孟頫」
将帰于臨皐

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今月より、今まで条幅で示してきました趙孟頫の書について、解説していきます。
元という王朝はご存じのように、蒙古より興ったフビライ・ハンによる異民族の王朝です。この時、趙孟頫は二十六歳でした。趙姓は、宋朝の始祖である趙匡胤(ちょう・きょういん)まで遡ります。つまり趙一族は、南宋においても有力な皇族であったのです。趙孟頫は若くして、吏部の試験に合格して、真州司戸参軍となっていました。
南宋の崩壊によったあと、元のフビライ皇帝は、中国を支配するには、武力一辺倒ではなく、漢民族の文化人の協力が必要不可欠だと考えました。そこで、元朝に反感を抱いていた南宋の遺民を懐柔する手段を取りました。趙孟頫はその遺賢の第一位に推薦されて大都へ赴きます。フビライは、趙孟頫のことを「才気永邁、神采煥發、神仙中の人」と高く評価して、元朝の高官の一人として召し抱えました。
しかし漢民族の人々からは、宋の皇族にも関わらず、国を滅ぼした敵国に仕えたことは無節操な人間だと白眼視され、元の朝廷においては、宋の皇族の出だということで蒙古人官僚からの警戒の眼をもって接せられたと言います。高い地位や、名声は得られたものの、心中は平穏なものではなかったようです。そのような人物の書いた”後赤壁の賦”を3か月取り扱っていきます。