2022年2月 お手本【一般 臨書部】

臨書部

臨 智永関中本千字文
「辰宿列張寒来」

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さて、智永が臨模した真草千字文は一本にとどまりません。伝説によりますと、智永は永欣寺の閣上で臨書にあけくれ、使い古したチビた筆が大籠に五杯も溜まり、それを埋めて、退筆塚を建てたと言います。又、永欣寺閣上に30年間も閉じこもって、真草千字文800本を臨書し、それを江東の諸寺に一本ずつ施与したといいます。
智永は王羲之七世の孫にあたると言いますから、家法の王羲之書法を伝承するという使命を”真草千字文”によって果たしたのだと思います。一点一画もゆるがせはせず、王羲之を崇拝して、臨模を積んだのでしょうが、それでもその書き振りは随風のものであり、智永の個性がにじみ出たものと成ったのだと思います。
今、世に伝わるところの智永の”真草千字文”は智永という落款がないために、王羲之の書として、奈良朝に舶載され、聖武帝遺愛品として、東大寺に献納されたと言われています。嵯峨天皇の時代に、正倉院から内裏に移されやがて民間に流出してしまい、江戸時代まで所在はわからなかったのですが、幕末の江馬天江という人が、ひとりの旅僧の診察をしたお礼にこれを得たといい、のちに彦根藩士で漢学者の谷鉄臣が懇望して譲り受け、更に小川簡斎氏のもとに秘蔵されています。私が臨書したのは、上記の真跡本とは違い、”関中本千字文”といわれる精拓です。