2021年6月 お手本【一般 臨書部】

臨書部

臨 蘭亭序
「天朗気清恵風」

PDF

私の王羲之像は、貴族であった。王一族は東晋の名門であった。病弱であったので、薬や薬草に関する知識が豊富であった。不老不死を求める道教への憧れも病弱であった故であり、それが心を山水に遊ばせる「流觴曲水の宴」を開催させることにつながった。
簡単に述べると以上のようなものだったのですが、「故宮・至宝が語る中華五千年」を読んでいると、そのような軟弱な王羲之像は吹っ飛んでしまいました。”「もし国家が私を起用するなら、陜西や甘粛といった僻遠に行くことも辞さない。(中略)私の働きは、平凡な護軍将軍などとは大いに違う」と意気軒昂なところを見せている。」”
つまり、匈奴出兵なら仕えようというのです。それは、最近の研究で分かったことだそうですが、王羲之の父である、王曠は、匈奴の討伐を命じられ、捕虜となって連れ去られたということです。生きて捕虜の辱めを受けるより、名誉の戦死を遂げることの方が潔いとされていたのですから、残された息子としては暗い影が絶えずつきまとっていたのかもしれません。その父親の名誉を挽回したいという思いの表れが匈奴出兵なら仕えようという言葉だったのです。しかし亡き父の汚名を晴らしたいという思いは、かなえられることはありませんでした。そのような憂慮が蘭亭序の後半の無常観に満ちた文章に表れているのではないでしょうか。