臨書部
臨 米芾 「更に采菱謳を度す」 |
先月の「松竹留因夏」、今月の「更度采菱謳」 をご覧になって本当に美しい左傾のスタイルをしているとお思いに なったことでしょう。 このような王羲之の伝統を受け継いだ米芾ですが、米顚( べいてん)とか米癡(べいち)と称されました。顚は「 気が狂った人」、癡は「頭の働きがにぶい」という意味です。 ですが、米芾は頭脳明晰の人ですから、 顚とか癡とか呼ばれるのは、 その奇行を指摘して称されたのでしょう。
宋の役人であるのに前時代的な唐のオールドファッションを真似て いたので、 米芾の歩くところはその容姿を見物する人で黒山の人だかりとなっ たそうです。 人からどのように評されようともどのようなニックネームをつけら れようとも、自分の信じるままを生き、 日々書画の研鑽に励んでいた米芾は流石だと言えます。
一つ、 そのすさまじいほどの蒐集癖のエピソードを紹介しましょう。 ある時、船中で蔡攸と王衍の書を鑑賞していた時、 米芾は突然それを懐にしまい込んで、 水中に飛び込もうとしました。 もちろん本人はジェスチャーだったでしょうが、 驚いた蔡攸が理由を尋ねると、米芾は「 私が今までに秘蔵してきたものの中に、このような名品はない。 頂けないならこれを抱いて死ぬ方がましだ。」 と答え離しませんでした。そこで蔡攸は仕方なく、 米芾にこれを譲ったということです。 恐ろしいほどの脅迫まがいの行為です。
宋の役人であるのに前時代的な唐のオールドファッションを真似て
一つ、