臨書部
「臨 米芾・李太師帖」
李太師収晋賢
前回までは、褚遂良が臨書した蘭亭序とはいわれたものの、その実、米芾もしくは、それ以後の宋代の人によって書かれたもので、其の用筆法には、随分と首をかしげたものがあったことは、この解説の文章でもしばしば述べていたところです。
年も改まるので、今月から、米芾の書を臨書課題にしていきたいと思います。
米芾は宋の時代の三大家と言われ、蘇軾(そしょく)、黄庭堅(こうていけん)につぐ書家で、1051年に襄陽県に生まれました。前者が書家だけでなく、政治家や文学者としても名をはせていたの対し、書画の分野で有名でした。
弱冠20歳で「秘書省校書郎」として、宮中の公文書の点検や公正などをする仕事に就きました。宮中で多くの名品書跡に接する幸運を得て、又、若き頃より文化人との交流してきたことにより、北宋一のテクニシャンと称されるようになりました。
年も改まるので、今月から、米芾の書を臨書課題にしていきたいと思います。
米芾は宋の時代の三大家と言われ、蘇軾(そしょく)、黄庭堅(こうていけん)につぐ書家で、1051年に襄陽県に生まれました。前者が書家だけでなく、政治家や文学者としても名をはせていたの対し、書画の分野で有名でした。
弱冠20歳で「秘書省校書郎」として、宮中の公文書の点検や公正などをする仕事に就きました。宮中で多くの名品書跡に接する幸運を得て、又、若き頃より文化人との交流してきたことにより、北宋一のテクニシャンと称されるようになりました。

