臨書部
「臨 蘭亭序」 暮春之初 |
褚遂良が臨書したと右上に書かれているものを鵜吞みにして、五つの蘭亭序の中から、八柱第二本を選んだのは、”俯仰法なら褚遂良の書いた雁塔聖教序”とむずびつけてしまったからです。しかし先月号にお示ししたように、この蘭亭序”八柱第二本”は、西川寧先生に言わせると米芾以後の臨書ということになります。また、啓功先生は、米芾の自臨とさえ言っております。
これらの文章から「褚模王羲之蘭亭序帖」という冒頭の八文字は真っ赤な嘘ということになります。私は俯仰法と言えば、短絡的に褚遂良と結びつけてしまったので、このような過ちを犯してしまったのです。
この”八柱第二本”が褚遂良の臨書作品ではなく、個性の発露が言われた宋時代の臨書であったことに驚いています。しかも一番の候補として、王羲之の書を数多く鑑賞し、真偽のジャッジをしていた米芾のものだということに二重の驚きを感じています。
これらの文章から「褚模王羲之蘭亭序帖」という冒頭の八文字は真っ赤な嘘ということになります。私は俯仰法と言えば、短絡的に褚遂良と結びつけてしまったので、このような過ちを犯してしまったのです。
この”八柱第二本”が褚遂良の臨書作品ではなく、個性の発露が言われた宋時代の臨書であったことに驚いています。しかも一番の候補として、王羲之の書を数多く鑑賞し、真偽のジャッジをしていた米芾のものだということに二重の驚きを感じています。